大判例

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東京高等裁判所 昭和33年(う)70号 判決

被告人 ロバート・イー・ホームス・ジユニアー

〔抄 録〕

検察官控訴趣意第一、事実誤認の主張について。

所論は要するに原判決は本件公訴事実中強盗傷人の罪の事実につき強盗と傷害の二罪を認定したものであつて右は事実を誤認し延いて法令の適用を誤つたものであるとの旨主張する。ところで、本件における強盗傷人の公訴事実は、被告人は第一、昭和三二年六月一五日午後九時四〇分頃横浜市中区市電馬車道停留所附近道路上で菅原円二(当三二年)が運転する小型タクシーを呼止めキヤンプ座間までと命じて乗車し、同日午後一〇時二〇分頃神奈川県相模原市淵野辺一九〇六番地先道路上に差し掛るや停車を命じ突如所携の拳銃を同人の背後より突きつけ「お金、お金」と申向けて脅迫し、その反抗を抑圧して金員を強要し、格闘となつたが、更に「横浜へ行け」と命じ、同市上鶴間三四〇九番地先道路上において交番に届出ずべく停車したのを察知し車内において同運転手の背後より拳銃にて同人の頭部その他を数回殴打し、因て同人に対し頭部打撲による挫創、右背部挫傷等全治二週間を要する傷害を与えたるもパトロール中の警官が近寄りたる為、金員強取の目的を達しなかつたが、同所までのタクシー料金一一九〇円相当の支払を免れ、以て財産上不法の利益を得たものであると謂うにあるところ、原判決は此の起訴に対し、被告人は第一、昭和三二年六月一五日午後九時四〇分頃横浜市中区市電馬車道停留所附近道路上において、菅原円二が運転する小型タクシーに乗車し、キヤンプ座間までと命じつつ、同日午後一〇時二〇分頃神奈川県相模原市淵野辺一九〇六番地先道路上に差し掛るや、突如停車を命じ、所携の拳銃を同人の背部に突きつけて「お金、お金」と申し向け、その反抗を抑圧して金員を強取しようとして同人と格闘を為し、結局同所迄のタクシー料金約九〇〇円の支払を免れ、以て財産上不法の利益を得、第二、次いで、右菅原が偶々そこを自転車で通り掛つた金井英男他三名に対し援助同行を求めたところ、同人等は言を左右にしてその要請に応ぜず走り去りたるもこの間右自動車の傍に立つていた被告人に攻撃又は逃走の気配急ならざるを感知して、単独で疾走し去る機会があつたにも拘らず、この上は被告人を同乗させて警察に連行せんと計画し、被告人に対して「乗れ、乗れ」と乗車を促したところ、既に金品強取の犯意を喪失して無為に車側に佇立していた被告人は漫然その命のままに乗車し、往路を引き返して横浜方面に向う途中、右菅原の拳銃をよこせと言う仕草に応じてそれに装てんしてあつた実包五発入弾倉一個を外して同人に手渡したところ、既に被告人の所持せる拳銃には実弾のないものと推測した右菅原が、前同日午後一〇時三〇分頃同市上鶴間三四〇九番地道路上において上鶴間巡査派出所に届けるべく停車した時、突如その拳銃を被告人から奪取せんとしたために再び格闘となり、その際被告人は右拳銃を以て菅原の頭部を殴打し、因て同人に対し頭部挫創、右背部挫傷治療二週間を要する傷害を与えたものであるとの旨、強盗並びに傷害の二罪に截然たる区別をして認定していること洵に所論のとおりである。

仍つて原判決に所論の如き事実の誤認があるか否かを記録上現われている全証拠によつて検討考覈するに、被告人が(一)昭和三二年六月一五日午後九時四〇分頃横浜市中区市電馬車道停留所附近道路上において菅原円二(当時三二年)が運転する小型タクシーに、キヤンプ座間までと命じて乗車したこと、(二)同日午後一〇時二〇分頃神奈川県相模原市淵野辺一九〇六番地先道路上に差し掛かるや突如停車を命じ、所携の拳銃を右菅原の背部に突きつけて「お金、お金」と申向けて脅迫し、その反抗を抑圧して金員を強要して格闘となつたこと、(三)偶々そこを自転車で通り掛つた金井英男他三名に対して右菅原が援助同行を求めたところ同人等は言を左右にしてその要請に応ぜず走り去りたること、(四)右菅原は被告人を同乗させて警察に連行しようと決意し、被告人に乗車を促して乗車させ往路を引き返えして横浜方面に向う途中、右菅原の拳銃をよこせと言う仕草に応じて被告人より拳銃に装てんしてあつた実包五発入弾倉一個を外して同人に手渡したこと、(五)右菅原が同日午後一〇時三〇分頃横浜市上鶴間三四〇九番地道路上において上鶴間巡査派出所に届けるべく停車した時被告人が車内において右菅原の背後より拳銃を以て同人の頭部その他を数回殴打し、因て同人に対し頭部打撲による挫創、右背部挫傷等全治二週間を要する傷害を与えたることは原審証人菅原円二同福地重治の原審公判廷における各供述記載、金井英男、橋本浩二の検察官に対する各供述調書、被告人の原審公判廷における供述記載、被告人の検察官及び司法警察員並びに司法巡査に対する各供述調書、拳銃(拳銃弾五発入弾倉共)一挺及び拳銃弾七発入弾倉一箇(当庁昭和三三年押第一七号の一、二)医師水川五郎及び医師大石稔各作成の各診断書を総合すれば洵に明らかであつて、此の点に関する限りにおいては本件公訴事実と原判決認定の事実との間にさしたる違いはないのである。

只本件公訴事実によれば被告人は一貫して強盗に著手した第一現場より傷害を与えた第二現場に至る迄強盗の意思を継続していたものであるとし、又は強盗の機会に逮捕を免れる為に傷害を与えたものとしているのに、原判決によれば、被告人は強盗に著手した第一現場を離れるときにはスツカリ強盗の犯意を失つていたものであり、従つて第二現場の行為は第一現場における強盗とは全然無関係なものであるとしているのである。

そこで孰れが真相であるかを証拠によつて検討すると、先ず被告人が第一現場を離れるとき強盗の犯意を失つていたものであるかないかを按ずるに、右部分に関する被告人の原審公判調書中における供述記載の主要なものを摘記すれば「運転手が私の事を車へ押しいれるようにしてなんか横浜に帰えろうとかいうような事を言つていたようでした」「私は運転手に横浜に帰えれなんという事は言つた事はございません」「なにか他の事を考えていたので実際横浜からあつちへ行つて又横浜へ戻るタクシーの料金の事はさらに念頭にございませんでした」「運転手からお金をとつてやろうどうしたらとれるかという事を夢中で考えるような必要は私には何もございません、たゞ軍隊の方から必要の書類をくれさえすればとその事だけが私の念頭をしじゆう往来しておりました」等であり、又被告人の検察官に対する供述調書(昭和三二年七月一二日附)中にある供述記載を摘記すれば「第一現場から第二現場まで行くまで私はまだ運転手から金を奪う心算りはあつたかどうかは云えません、私は当時二八円しか持つていなかつたので第一現場から若し運転手が横浜まで戻つたならばその料金をどうするかとのお尋ねですが、私は横浜まで行けと命じたかどうか覚えていないのでその先どうしたかわかりません」とあり、孰れも金員強奪に対する犯意を否認しているのである。而して被害者の原審証人菅原円二の原審公判調書中における供述記載によれば「そこに立つておつたのを車の中へ乗せて、そこで自動車を廻わしてまた戻つたんです」「相手方もおそらく乗ろうとしたかもしれないけれども僕も乗れ乗れといつて車の中へ乗せてーー」「とにかくそこに置いちや僕と二人きりですから危いし一時も早く広い通りに出ようと思つたんです」「車を廻わしたのは自分で廻わしたのです」「広い通りへ出れば何とかなるし、また向うへ出れば車も沢山通るし、車も交番も向うへ出ればあるし走つて出ようと思つて」「だけど僕は車を廻わして出はじめてからキヤンプ座間かというと横浜の方へ行つてくれと」「横浜ハバハバといつたと思つたんですけどそれ、よくわからないのです、記憶ないんです、横浜ということは日本語でいいました、けれども後、英語だと思いました」「横浜へ行けといつたことは間違いない」「いや僕は本当にこわかつたんですよ、だけど一応そういう場合に会つたつて、こわいながらも前なんか兵隊なんか行つていろいろなことも立会つているから、何ていうか、むかむかして来てこんなこと位でこの犯人を逃してなるものか一応はその自転車で来た人に護衛して貰つて一緒に行つてもらうつもりなんです、頼んだ人達がおつかないか、おそろしいのが余計で頼りなかつたんです。だけどその人達と一緒に行こうと思つてすぐ車をまわしたんですけれども、どこへ行つたか一目散に行つちやつたんですけど、頼んだのは後で聞いたんですけれども、通達してはくれたんです、連絡はしてもらつたんです、それが間に合わなかつたんですけど一応警察へ、こうなつた以上は警察まで何して犯人を押えて何しようと、届けようと思つたんです、それでまあ広い通りへ出れば何とかなるからと思つて危険を感じ乍らも、広い通りへ出ようと思つて出たんですが、その丁度あいにく横浜ハバハバ横浜へ急いでくれというからこれはしたりと思つて、交番途中にありますから自信持つて行つたわけです、とにかくそこでまごまごしたんじや後のことも危いし、しようがないから、めちやくちやな気持で、とにかく乗つけて行こうという気持で行つたわけなんですけれど」とあり、これらの供述によるも被告人が第一現場を離れる時に強盗の犯意を有していたか否かと謂うことは必ずしも判然としないのであつて、その他本件記録を精査しても被告人が強盗の犯意を持続していたと認むべき証拠はないのである。従つて此の点被告人が第一現場より第二現場に至るまで強盗の犯意を継続していた旨の検察官の論旨は到底採用し難い。そこで第二現場における被告人の被害者菅原円二に対する傷害行為が第一現場における強盗の機会に逮捕を免れるためになされたものであるか将た亦強盗と全然関係の無い独立した行為であるかについて按ずるに、前掲被告人及び原審証人菅原円二の供述記載と更に加うるに右原審証人菅原円二の原審公判調書における供述記載中の「あの広い通りに出てから、まもなく横浜へ行けといいました、丁度交番もそつちにあるしするから、それは幸いと走りながら思つたのです」「拳銃持つていたから、それ危いから走りながらそれを貸してくれと僕はいつたんです、お客さんには横浜、早く早くと云われるから横浜と口ではいつたんですけども交番へ行くつもりで、ピストルは到々よこさないで弾だけ、弾倉一つよこしたんです。それで後、交番まですつとんで行つたわけです、その交番というのは上鶴間の交番です」「初めにピストルを突きつけられた所からその交番までは夢中で来たけれども八十から九十、百近くのスピードがあるいは出たかもしれないです、時間にすると五、六分位だつたね、おそらくそんなにかかんないですね、大体十分以内でした」「いや交番の前でとめようとしたんです、それでブレーキを踏んだんですけども、うしろからポリス・ハウス・ノーノーといつて押えられちやつたから、いくらかブレーキゆるんじやつて前の方へ行つちやつたんです。うしろからこう両手でぐつと胸の辺り抱えられたんですけど、そこはポリスハウス・ノー・ノー行け行けといつたんです」「とまつてからまた、うしろ向いたら行け行けと、また拳銃つきつけたんです、そこにポリスハウス・ノー・ノー・ゴーイング、ゴーイングと云つたんですけれども、とにかく英語ですね」「横浜早く行け行けとこうやつて突きつけたんです、僕は降りてポリスハウス、行こうと思つたんですけども、突きつけているから、またうしろを向いて、もみ合つたわけです」「それからまあ、すぐ僕は拳銃取り返そうと思つて、うしろを向いて、もみ合つたんです」「その前に忘れてましたけれども、途中交番には、あいにく誰もいなかつたです、しようがなくて、そこでまあ格闘やつたんですけれどもね、そうでなかつたら怪我もしないですんだかもしれないですけどね」「まあ格闘しているうちにドア開けて、とにかく出ようと思つてドア開けたんです、それでまあドア開けてから、あつ、そのドア開ける前にピストルを一回取つたんです、ドア開けようとして出ようと思つたら、手が長いので取られちやつて後の頭ポカポカ殴られたんです、二、三箇所、それでまあドア開け終つてから、また、たたかれたけれども我慢して格闘やつて何とかピストル取り返して外へ出たんです」「丁度外へ出て、誰か来てくれと、そこへあの何か外人の車なんか来て、まもなくお巡りさんも馳けつけてくれたんです、丁度通りかかつて」「それは僕はドライバーとしては、そういう犯人を逃がすことはできないのです、僕としてはそういう人は逃がすようなことは自転車で来た人にも報告してあるんだし、できるなら僕は警察のほうへ何しようと思つて努力したんです、それでもつて乗つけたんです、むしろ傍へ置いて話してからといつたとて相手は拳銃持つているんだからどうされるかわからない、どうせ覚悟した上だから、そのように心を決めて乗つけてつて向うへ行こうとしたんです、犯人も報告するし、犯人を押えてしまおうとまあ思つたわけです」との記載、被告人の原審公判調書中における供述記載「二度目に止つたのは私の方から何も命令を出しませんでした、運転手が自分自ら車を止めた風でした、その少し手前のところに交番があることはバスで二、三回通つた事がありますから知つておりました」「喧嘩という程じやなかつたように記憶しておりますが、なんかピストルを寄越せ渡さないで、なんか私の事を殴るか、ピストルを奪いとる様な気配を見せましたものですから、私は確か一つか二つ殴つたかもしれません、殴つた箇所はなんか後頭部の方でむしろ左側に寄つた方だろうと思いますが」「第一場所から第二の場所へ来るその車の中では私がしじゆうピストルを持つておりました」との記載、検察官に対する被告人の供述調書(昭和三二年六月二五日附)中「それからタクシーは方向を変え大通りを横浜に向つて走り出しました、それから3ストリートとハート4の交叉点を通り右側にある巡査駐在所を通り約七十五ヤード先の左側に止りました、そこで運転手は英語と日本語で私にピストルの事に関していつたと思います、そこで私は弾丸が七発入つている弾倉をピストルから抜いて彼に渡しました、彼はまだピストルのことを話して居りました、そして私の膝の上にあるピストルを取ろうとして私に襲いかかろうとしたので私は右手に持つていたピストルの筒で彼の頭の左側の処を数回打ちました。その中外人二人が乗つている車が後ろから近付きました。そうすると運転手は車から出ましたので私も車から下りました」との供述記載、検察官に対する被告人の供述調書(昭和三二年七月九日附)中「私は別に運転手に命じませんでしたが運転手が車に戻りましたので私も後部座席に乗つたのです。それから私は彼に横浜に戻る様命じたかどうか覚えていませんが彼は横浜に行く本通りを運転し始めました。拳銃は私の膝の上に置いておきました、私は途中第三路と第四路の交叉点の処に日本警察の巡査派出所のある事は知つていました。其処え行く途中運転手が手真似で拳銃をよこせと云つたので七発弾丸の入つた弾倉を彼に手渡したのです。それから私は派出所に行く間に予備の弾倉を装顛しました。薬室内に一発入れたかどうか記憶はありません、それから派出所の先の処で車が止り私が拳銃で彼の頭を殴ぐつたのです」との供述記載、原審検証調書中第二現場は第一現場より約六千米東方の産業道路上の一隅である(第一現場より乗用車で第二現場に至る、時速約五十粁、所要時間八分)。との記載を総合考覈すれば、被告人は淵野辺の所謂第一現場において被害者菅原円二の運転するタクシーの車内において同人に拳銃を突付けて金を要求した後再び右タクシーに乗車し第二現場の上鶴間交番前に到りその車内において拳銃をもつて右被害者の頭部を殴打して傷害を負わせたものであつて、第一現場より第二現場までは約六千米の距離であつて時速約五〇粁で所要時間八分位であるのみならず、右タクシーの当時のスピードは時速八〇粁位にしてその所要時間約五、六分であつたのであり、被告人は被害者が上鶴間交番前で停車したため「ポリスハウスノーノー」と言つて逃走せんが為め格闘の末被害者の頭部を殴打して傷害を与へたものであることが優に窺われるのであつて、本件被害者に対する傷害行為は正しく強盗の機会においてなされたものであると認むるを相当とし、強盗と傷害とを別個無関係の行為とは到底認め難い所である。果して然らば原判決がその判示する如く本件被告人の所為を強盗と傷害の二罪に認定処罰したのは正しく事実を誤認し延いて法令の適用を誤つた違法があるものであつて、右違法は判決に影響を及ぼすことが明かであるから、此の点論旨はその理由があり原判決は到底破棄を免れない。

(山本謹 渡辺 石井)

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